千葉大学災害治療学研究所

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災害ライフサポート学研究部門 秋田 典子 教授

手作りのフラワーガーデンでめざす"ほんとうの"復興
―震災復興10年とこれから―

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教員紹介

秋田教授

災害ライフサポート学研究部門
秋田 典子 教授

園芸学研究院教授。「自然環境と人の暮らしや活動との共生」を専門とし、東日本大震災発生から10年間、継続的に被災地での復興活動に参加し、現地の被災者との交流を介して"花と緑による地域再生活動"を実施し、大規模復興事業から取り残される高齢者、子ども、障がいの人々も包摂した復興拠点創成を行った。2018年7月に復興大臣より感謝状を授与。

インタビュー内容

清水先生

清水
(インタビュアー)

秋田先生は、東日本大震災発生から10年間、学生さんと一緒に毎年継続して現地に行って、復興支援活動をされていたと伺いました。私自身も岩手出身でございまして、震災では大変な目に遭ったので、先生のご活動に大変関心があります。どういった活動をされていたのか、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。

秋田教授

秋田教授

活動のきっかけは、震災直後にどうしても被災地の復興支援に行きたいという学生からの提案でした。現地の混乱状態は我々もよく理解していたので、研究者としては行くことをためらう状況でしたが、それでも学生の思いはとても強いものでした。そこで、今私に唯一できることは、こういう思いを持った学生を現地に連れて行って、その学生が将来、被災地のために役に立ってくれるきっかけを作ることなんじゃないかと思い、活動を始めることにしました。

清水先生

清水

当時の混乱の中で活動を始めるのは、すごい覚悟だったんですね。

秋田教授

秋田教授

そうですね。本当に、ものすごい覚悟で行きました。学生の安全を確保し、被災地の方々のご迷惑にならないようにしなければならない状況で、大変な決断でした。しかし、これが日本の未来の災害支援にとっても大きな力となるという確信を支えに、ここまでなんとかやってこれました。
我々は国立大学唯一の園芸学部ですので、花と緑で被災地を再生する、復興のお手伝いをするというミッションを掲げてですね。現地の方と連絡を取りながら、学生達と一緒に、津波でめちゃくちゃになった色のない景色の中に、花を咲かせるという活動を始めました。

宮城県石巻市雄勝町「雄勝ローズファクトリーガーデン」(出典:雄勝ローズファクトリーガーデンHP) 宮城県石巻市雄勝町「雄勝ローズファクトリーガーデン」
(出典:雄勝ローズファクトリーガーデンHP)
清水先生

清水

当時のことを考えると、学生さんたちのことも本当に尊敬します。私が学生だったら、たぶん立ち上がらなかった、というより、怖くて立ち上がれなかったと思うので、本当にすごいなと思いました。
素人目線からだと、復興というと、義援金を集めたり、建物や道路の再建をしたりといったイメージがあるんですが、花と緑で行う地域のコミュニティー再生活動だからこそ、被災地の住民が感じられる何かというのがあったんでしょうか。

秋田教授

秋田教授

はい。実はコミュニティーガーデン活動というものは、1980年代ころからアメリカで始まり、地域再生の手段として、すでにある程度確立されたものでした。園芸学部の学生たちもそれを知っていたので、個人的にボランティア活動に参加して、被災地に植木鉢でお花を持って行ったそうです。その当時は着るものも食べるものもない状況で、花なんか何の役に立つんだという意見もありましたが、実際はその花を持っていくことで、ぱぁっとその場が明るくなりました。食べ物・着るもの・水だけじゃなくて、心が癒されるようなものがどれだけ大事かということを、その学生自身も理解したそうです。そのこともあって、千葉大学園芸学部のオフィシャルな活動としてミッションに取り組み始めました。

宮城県石巻市雄勝町「雄勝ローズファクトリーガーデン」(出典:雄勝ローズファクトリーガーデンHP) 宮城県石巻市雄勝町「雄勝ローズファクトリーガーデン」
(出典:雄勝ローズファクトリーガーデンHP)
清水先生

清水

短期的な復興とは違って、花と緑で地域を再生するというのは、人の手で時間をかけて取り組む活動ですよね。時間をかけることに、何か意味があったりするんでしょうか。

秋田教授

秋田教授

はい。とてもいい質問ですね。
復興事業は非常に大規模で、ある意味自分の知らないところで動いていくものなんですね。大きな自然の力で襲われた街が、大きな事業の力で姿を変えていく。そのさまを眺めていると、本当に自分の存在が小さく見えてきて、逆に個人の中の復興のエネルギーを奪われるという面もあるかと思います。
それに対しコミュニティーガーデンでは、自分の手で花を植えて、ガーデンを少しずつ大きくしていき、そこに人が集まって拠点になる、というプロセスを経験できます。この時間は、傷ついた心を回復させていくためにとても重要で、復興の力になると思うんですね。
自分の手を動かすことが自分の力につながる。植物が成長して、咲いて、枯れていく様子を見ていく中で、自分たちが生きる力をもらえる。清水先生は心理学のご専門なのでお詳しいかと思いますが、私たちは専門的にわからないながら、この活動で時間をかけることの効果を実感しました。

清水先生

清水

人の手を使ってゆっくり物事を進め、地域住民主体で、自分たちのペースに合った活動をすることは、本当に意味があると思います。一般的な復興活動についていけない方は少なくないと思うので、コミュニティーガーデンはそのような取りこぼされてしまう方々もしっかり包み込んでいく活動なのだなと感じました。
今の世の中は時間の流れが速くて、すぐに結論を求めがちですよね。そんな中、あえて時間をかけることは、私もすごく大事だと思います。

秋田教授

秋田教授

そうですね。建物や防潮堤、道路などは、完成したら終わりです。しかし、ガーデンに完成や終わりはなく、震災から10年経ってもゆっくり進み続けています。植物は少しずつ変化し続けているので、毎日小さな変化を見つける喜びがあります。「明日はどうなってるかな」「芽が出たらどうなるかな」いう明日への力になります。私たち人間も生き物ですから、植物のゆっくりとした変化とは足並みが揃いやすいのだと思います。

秋田教授
清水先生

清水

本当におっしゃるとおりで、公的な事業は特に結論ありきで進んでいきますが、そうするとプロセスが軽視され、ただの手段になってしまいますよね。「こっちに行ったらどうなるかな」とプロセスを楽しめる機会は昨今とても少ないので、子供たちやご高齢の方、障害のある方にも感じてもらいたいことだなと、私自身思っています。
過去の先生のご発表とか文献を見て、私はすごく「脱成長」という言葉が使われていたのにインパクトを感じたのですが、あれはどういった意味なんでしょうか。

秋田教授

秋田教授

私たちの活動場所は、もともとは街があった場所なんですが、津波の被害を直接受けて、住宅などを建ててはいけない災害危険区域に指定された所なんですね。よって、たくさん人を呼んで商業したりなど、活性化を図るのは難しい状況でした。しかし地元の方々にとっては、確かにそこに自分達の街があったんです。そんな中、地域の方たちが自分たちで、できることをできる範囲で、持続的にやっていくとが、新しいコミュニティーや地域づくりの形かなと思っています。「できないことをやらない。」そんな感じかなって。

清水先生

清水

できないことをやらない。決して進むことを諦めようということではなく、各々の物差しを基準にして、それぞれ歩み続けていこうということですね。

清水先生
秋田教授

秋田教授

そうです。活性化や地域再生に躍起になると、観光客や観光収入のような、数字にこだわってしまいがちです。しかし、今の資本主義社会の中では数字として表れない、ウェルビーイング(=個人にとって善いあり方、心身の健康、幸福)にこそ大事な価値があるということを、ガーデンを訪れた皆さんが感じていることなんですね。

清水先生

清水

なるほど、よくわかりました。終わりのない活動を持続的な成長を見据えてやっていくからこそ、地域の被災地の住民が自分たちのペースで、無理なく精神的にも復興していけているんじゃないかなと感じました。
ガーデンの活動に参加される方は、どのような方々が多いんでしょうか。

秋田教授

秋田教授

女性も高齢者も子どもも、老若男女様々です。復興事業はどうしても大人の男性だけが中心になってしまいがちですが、ガーデン活動は全員で取り組める、復興のオルタナティブ(=代わりになるもの)だと私は考えています。それぞれの人が自分のやるべきことを見つけられるのがあの場所なんですね。学生も、お年寄りも、障害のある方も、自分の役割を見いだす場っていうのが、ガーデンではないかと思っています。

岩手県釡石市平田「おかえりなさいガーデン」(出典:花と緑による被災地支援活動 10年間の活動記録) 岩手県釡石市平田「おかえりなさいガーデン」
(出典:花と緑による被災地支援活動 10年間の活動記録)
清水先生

清水

すごいですね。いろんな方がごちゃまぜのコミュニティーの中にいると、お互いの関係性の中で、自然に自分の役割を見つけていけそうですね。最近は「多様性と包摂」なんて言葉も聞くようになりましたが、まさにガーデンはいろいろな個性を受け入れて包み込んでいける場所なんですね。
与えられたことをやるばかりでなく、自分で主体的に何かやりたいことを見つけられる場を作るというのは本当にすごいなと思います。災害地域に限らず、こういった場所をもっと作っていけたらいいですね。そのモデルケースとして、先生の事例を全国に広めていけたらなとは思いました。

秋田教授

秋田教授

ありがとうございます。

清水先生

清水

これから活動を継続していく上での展望や、これまでの活動で難しかったことを教えてください。

秋田教授

秋田教授

一番難しかったことが、ガーデンの活動を市の公的な計画に位置づけるということです。ガーデンの活動は、先ほども言ったように復興のオルタナティブであって、今までの制度や政策の枠組みの中からはみ出る、新しいチャレンジなんですね。

清水先生

清水

最初からそれ用の予算が用意されているわけじゃないですからね。

秋田教授

秋田教授

そうです。例えば復興庁はこの活動の意義を認めてくださってるんですが、やはり地元の自治体にとっては日々のルーティンから飛び出す活動になってしまうので、それをルーティンと結びつけていくことにものすごくエネルギーをかけています。今も復興庁のサポートを得ながら、これをどうにか、市のオフィシャルな計画に位置づけられないかと努力を続けています。

吉野復興大臣より感謝状贈呈(出典:花と緑による被災地支援活動 10年間の活動記録) 吉野復興大臣より感謝状贈呈
(出典:花と緑による被災地支援活動 10年間の活動記録)
清水先生

清水

ぜひ公的なものにしていけたらなと思っています。
我々が普段やる医学分野の研究は、ある現象を数字や記号に置き換えて操作しながら真理を見つけることなんですが、それは数字の奥で待っている、困っている患者さんの笑顔のためです。しかしそれは現場に出ない限りは想像するしかないので、先生の活動のようなフィールドワークでしか得られないものもたくさんあると思います。これから大事なのは、それらを融合させていくことだと思うんですよね。

秋田教授

秋田教授

そうですね。私がやっていることは逆に数値化が難しい分野ですが、普遍化するためにはある程度数値化することも必要だと思っています。これから清水先生の分野と融合していくことで、よりウェルビーイングやQOL(クオリティ・オブ・ライフ、生活の質)を高めていけるんじゃないかと思ってます。

清水先生

清水

ありがとうございます。ぜひお手伝いできればと思ってます。

秋田教授

秋田教授

ぜひこちらこそお願いいたします。

清水先生

清水

先生、最後のご質問なんですけども、災害治療学研究所に参画された理由とかってございますでしょうか。

秋田教授

秋田教授

はい。災害治療の専門の先生方と共に研究を進めていくことで、心や体に様々な傷を負った方々を多角的にサポートし、よりよい地域再生につなげることができると思ったからです。
被災地の復興に関わってきた中で、10年たっても心の傷が癒えない方や、大人になってからも子供のときに被災して負った心の傷とうまく向き合えない方をたくさん見てきました。それに対して、私たちは専門家ではないので何もできず、非常に悩むこともありました。
今後は災害治療学研究所で、学問分野の垣根を越えて、様々な支援の仕方を総合的に模索して、より良い復興、より良い回復を目指していきたいと思います。

清水先生

清水

ありがとうございます。ぜひ先生の研究が、もっともっと輝いていけたらなと思っておりますので、応援しております。今日はありがとうございました。

秋田教授

秋田教授

ありがとうございました。

秋田教授
秋田教授
秋田教授
秋田教授
秋田教授
秋田教授
秋田教授
秋田教授
清水先生

千葉大学未来医療教育研究機構 特任助教
インタビュアー:清水 啓介

未来医療教育研究機構特任助教。災害治療学研究所ではファンディング企画部で広報を担当。附属病院整形外科/痛みセンターでは、脳画像、心理学的見地から慢性疼痛の作用機序の解明及び治療を担当している。

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